山下さん、ご講和、御疲れ様でした。内容の中でお客様からの問いに、御客様目線で 「どちらの見方なの?「もちろん社長様の見方です!」どっちの見方でもない。そう考えていること自体の 指導や監査は 本当に難しい職業だと思います。
弊社スズケンも製造業を営んでおります。倫理経営を取り入れる前は、弊社はブラックデビルとも呼べる、眠らないスズケンと、業界からニックネームがつけられるぐらい、社員を酷使していました。 「お金さえ払えばいいのだろう!」社長の経営方針・理念がモノを言うのではなく、文字通り(お金にモノを言わせていました)。でも、それって長続きしないんですよね!(継続は力)というように、継続するには、どうしたら良いのか。法律規制を遵守することは勿論のこと、働くという目的は何なのか、ということを探求していくとき、倫理でいう「喜働」(Kidou)という言葉に出逢います。「喜働」とは「喜んで働く」ということですが、そこで「働き」と「喜び」は別々のものではない。働きに喜びが加わるのでもなく、「働く事そのものが大きな喜びである」とう状態(境地)と倫理では提唱しています。
それは日本人の本来もっているモノなのかもしれない。英語でビジネス(仕事)の語源はビジー(忙しい)。仏語でトラバーユ(働く)の語源はトリパーリアーレ(拷問する)。で日本は「はたらく」→はた(まわり)を楽にする。あなたの為に「仕」える「事」で仕事!欧米では何のために働くのか?の問いに「バカンスを楽しむ為!」と答えるのがほとんどだそうです。世の中、大体はこの考えなんだけどね!でも、日本人の労働観って素敵だなあ~と気付くんです。日本では神様事態が働いています。天照大神も、はたを織っていたそうです。
日本人にとって労働とは「神事」であり、感謝と喜びを表すもの、もう一歩踏み込んで考えると、日本人にとって生活そのものが「神事」、つまり、日本人は、働く事や生活を通して、常に神様と一体になろうとしていた。だから、日常生活の一つ一つを雑にせず 心を込めていた。外国では、靴を履いたまま家に入り、床はモップで拭く。日本人にとって家は、単なる生活をする場所だけでなく、神様を迎える特別な場所に共に住まわせて頂いているという思いで、正月には年神様を迎え、お盆には御霊を家に迎える伝統があります。だから、私達は家に上がる前は靴を脱ぎ、床に這いつくばって雑巾がけをする。日本人は異常なまでに清潔だと言われる所以も「神様の為に清める」と解釈すれば、ごく自然の習性という事に気付いてきます。これこそが、日本人がずっと大事にしていた生き方で有り、人生の楽しみ方なんだと思います。山
下さん!この倫理経営は労務の真骨頂です。 共に学んで共に栄えましょうね!いつでも遊びに着てください(^◇^) 会員なんですから(^_-)-☆
磐田市倫理法人会 鈴木博久