大自然は宇宙の法則に従って、一分一秒のくるいもなく、めぐり動いております。
昼夜の分ち、一年のめぐり、春は花、秋は紅葉、昔も今も、千万年一日の如く変らぬ運動を続けております。
だれも教えぬのに、ツバメは春きて、軒端に巣を作り、子を育てて、秋は南にとんで行く。ミツバチは、しっかりときまった一団の社会を作って、けんかもしない。どのミツバチは不幸で、どのミツバチは幸福ということはない。自由も、平等も、ただ自らにして行われております。
そうした中に、人間の社会だけは、貧富、貴賤、上下の差別があり、健康な人、虚弱な人。賢い人、愚な者、そして国の興亡があり、文化の隆替があります。
これはどうしたわけでしょうか。それは人間に限って、勝手気まま、わがままをすることが出来るからです。なまけることも、勉強することも、喜ぶことも、怒ることも、勝手であるからです。
だから動物の社会には、その仲間の一匹が幸福で、他のものが不幸だとかの区別はありませんが、人はわがままをせずに、正しく暮らせば楽にすごせるものを、勝手気ままを出すので、不幸になるようになっております。いわば苦難は、そうしたわがままをした(他の動物のもっていない不自然な心を出し無理な行ないをした)時、自然に出てくるようになっているのです。
だから、たとえどのような苦しみであろうとも、そのすべてが自分のわがまま勝手からきていることで、どれも人間の協同生活にあってはならぬ心持です。これを取り去ることが、正しい心にもどることで、同時に苦難を取り去る道です。このわがままを取り去った暮らし方、これこそ新しい絶対倫理であります。これがかえって一番自然な、自由な暮らし方です。