苦難福門①
人が恐れきらっているのは苦難である。中でも病気、災難、貧苦・・・
世に少しの苦しみもないという家はまことに少ない。必ず何か一つ、「これだけが片づいたら」と念じている「困ったこと」がある。これが今までは「ただの困ったこと」であった。
昔の人たちは苦難は悪魔の仕わざだと見て、忌みきらった。ある人は罪のあらわれだ、業の報いだ、仕方がない、あきらめる他はないと考えた。
「天の将に大任を是のひとに降さんとするや、必ず、まずその心志を苦しめ、その筋骨を労す。」(『孟子』)
「患難をも喜ぶ、そは患難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ずと知ればなり。」(『ロマ書』五の三~四)
と、又古の勇士は、「我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったと言われる。
これは苦難の天の試練である、耐えしのんで努力すれば、よい結果が来ると考えたからであろう。
しかし、今や、百尺竿頭さらに一歩を進めて、苦難は、生活の不自然さ、心のゆがみの映った危険信号であり、ここに幸福の門があることがわかってきた。そしてこれは、日々多くの体験者によって証拠立てられている。