鈴木博久様
新年早々に講話有難うございます。話しの中で経営と純粋倫理と「新に挑む」がどのように結ばれていくのか、内容に興味がわきました。そもそも経営とは、との話で{売上}って倫理的に言えばなんだろう?って考えると、「自社が他社に施す量」と捉える。では経費は「他社が自社の為に施す量」シンプルに言えばこれなんですね!「A:自社が他社に施す量」?「B:他社が自社の為に施す量」=これがプラスならば黒字・マイナスならば赤字 ただそれだけの事だから利益を出すには、自社が他社にすることを多くするか!他社から頂き施しの量を少なくするかで利幅が決まってくる!なるほど!よく「攻めの営業という」言葉を耳にします、その攻めの営業って自社が他社に施す量を増やす事に隠されていると思うんです。それをさらに紐解いた話が面白かった!
「攻めの営業」の「営業」って何だろう?講師は「営業とは情報力」とおっしゃってました。確かにそうですね、今の時代SNSなどで、物凄いスピードであちらこちらに情報が飛び交っております、でもその情報が正しいのか正しくないのかジャッジする事が作業となっていることが現状です。では倫理的にはその情報力はどのように分析するのか?講師はまず「情報」という言葉の意味から教えてくれました。「情報とは人の情けに報いる事」、人が困っていたら助ける。これに他ならない。そのあと「情報」という字を分解して説明してくれました。「情」は「心」と「青」がくっついた字です、「報」は「幸」が「(注)フク=洋服の服と同じ意味でくっつくという意味」。繋げると「心が青いと幸せがくっつく」「心が青い」ってどういったことか?というと、昔から「ケツが青い」ってまだ子供だな~と戒めるときに使う言葉なんだけど、そのことを引用すると「子供の心になると幸せがくっつく」と介錯しました。う~ん なかなか難しい。これさえ解読出来れば もっと情報量が豊富になり営業力が付き自社が他社に施す攻めの営業が確立出来るのに!いや待てよ・・・子供の心になるって純粋になるってことだから、純粋になる勉強ってこの倫理法人会の事ですよね。
「そうか!そう言う事か!」純粋倫理の学びこそピュアな自分の心を感じ、本来の幸せを掴む方法論なんですね。そういえば以前、倫理の研修所の中で学んだことで「子供の心に帰る」というカリキュラムがありました。その中で幼い自分を膝に抱えて「あの時の君は、とてもよくやったね!素晴らしかったよ!よく我慢したね!だから今があるんだよ!ありがとう!」そう言って幼い自分をあやすんです。そうする事によって自分の存在を認めるんです。純真な心は皆もって生まれてきてるのに、荒んだ環境に順応しようと一生懸命頑張って、本来の自分を隠さないとやっていけないですもんね。でもね、子供の心になればなるほど、心が傷付きやすくなります。それを恐れてがんばっちゃうんです。本来の綺麗な心を隠しちゃうんです。へんな免疫力を作っちゃうんです。子供の心を取り戻す事って、傷付く心も素直に喜び味わえば良いのですね。傷付く心こそが、純真な心になっている証拠、つまり子供の心になっている事なんだ。そうか「「心が青くなる」ってことなんですね。そういえば以前倫理研究所の先生が言ってました。
「新に挑むの」新とは?倫理で言うと新しく変わるという意味ではなく、あるがまま、もとのまま本性、本質がそのまま現れでたもので、もともと無いものは現れようがなく、現れたものは、もともとあったものでもあります。すなわち「新」とは「もとにかえる」こと、復帰で有り、還元であり、復古であり、誤りが改まることであり、迷いから覚めるという事であり、その本質をしっかり立って、その本性をそのままに単純に率直に発揮することである」と教わりました。
「子供の心」つまり純真とは「新」なんですね、「純真」に戻ることは傷つく自分を凝視することにもなり、きっと痛みも伴う事!だからそれに向かう事が挑戦!挑む!ということ!「新に挑む」という行為自体が「人の情けに報いる事」であり、そのことを「情報力」といい、それは「営業力」という言葉に繋がってくることが解ってきました。それは自社が他社に対しての施す力にも繋がってくるし、他社が自社に対するエネルギーの量が自ずと少なくなってきます。「新に挑む」とは利益を増大させることにも繋がってくるのですね。
非常に勉強になりました。会長職まだ折り返し地点です。システムは出来上がっているように感じます、あとはどのようにこの継続を楽しむのか!?ですね。
「日本一!」いや「この星一番」になるように自身の切磋琢磨に力を注いで頂きたいと祈願いたします。有難うございました。