花井様、朝早くから磐田市の為に天竜川を渡って頂き本当に感謝いたします。市役所の世界、僕らには解らないような上下関係、そして常識では考えられないような環境だったんですね。傍から見れば、市役所の業務って楽なんだろうな~って思っていたんですが、けっこう民間にはわからない、黒いところもあるんですね。その中を真っ向からぶつかっていき、今の教育長の地位を築いたことには感銘いたしました。校長時代におかれても、楽しかったとはいえ、それなりの御苦労があったことで喜びも格別ではなかったではないのかなと思いました。先日、磐田市の村松教育長が講話されたときにも、同じように校長時代、生徒の苦労に関してはさほど辛くはなかったといってましたが、こと親御さんの扱いというか、対応には苦労し、涙・なみだのお話しでした。場所は違えど、どこでも同じなんだな、と思いました。
ウチの一人息子が浜松日体高校2年生になります。部活動は長距離と日体ではお家芸です。その中でも彼はなかなか成績が良く、全国でも上位クラスのタイムをもっているんです。その彼が今年の冬より腰の疲労骨折の為長期の休みを取り、今春のインターハイ予選にギリギリ間に合い出場したのですが、練習不足の為、県で落としてしまったのです。彼にとっては信じられない経験!でも、私的には高校2年生で素晴らしい経験をさせて頂いたと、かえって感謝しているんです。勝つことで学ぶ事と、負けることで学ぶ事、それぞれ得ることはあると思う。でも負けることを目的として人は努力はしない、勝つことに大きな意義があると思い込みます。しかし勝つことが次の目標に向けての始動であるとするならば、勝った人は歩んできた道を振り返ることはしない、ゆえに勝ち続けた人は自分を知らず、弱い。勝った理由が解ればこその力であり、方向性です。理由を知らなければ、それはただの運の強いだけとなってしまう。負けることが恥ずかしいならば、歩んできた道を振り返ろうとせず、記憶の淵から消し去りたいと思うが、負けることが悔しいならば、歩んできた道を振り返ります。ゆえに、負けた人は自分を知り、強くなろうとする。負けた理由が解れば勝つ理由もわかります。「勝つ理由を知るために負けたんだよ!」って落ち込んでいる彼に言い聞かせました。負けるという経験から学ぶことは、とても大事な事だと思っています。
今の子供達にも、もちろん勝つ喜びも必要だと思いますが、負ける悔しさを沢山経験して欲しい。それはいつか大人になった時に強さに変わる「素」なんだと思います。悔しいとは頑張った人だけが味わえる特別な感情。悔しいとは、ふたたび挑戦するという、たくましさを生み出す感情。悔しいとは、負けたからこそわかる感情。その悔しさから生み出すエネルギーは、無限の可能性を生み出すきっかけが宿ってきます。
大人は子供に勝たせてはいけない!勝つようにする!だから負けなければいけない!育てるとは負けも含めて見守る事なんだな、ということを今回の彼のレースが終わって再度 親の在り方を見直したような気がします。来年は表敬訪問でウチの息子が花井教育長に肩を叩かれるように、私は彼の心を叩き磨きますね(^_-)-☆
今日はお忙しいなか本当に有難うございます。倫理法人会は8月が年度末でございます。
来季もう一度、講話のお願いに行きます。その時は何卒 宜しく御願いします。
磐田市倫理法人会 鈴木博久