破約失福②
これは、大変な考えちがいで、少し目を洗い、耳をそうじして世間を見ていると、法網をくぐって出来た金銭・財産は、その人の見につかぬのみか、かえって、その人を、家を不幸にする。それこそ、一件の例外もなく、一人のもれもない。少しく頭のよい注意深い人は、これを一々の実例に見て、天の記録の精密さ、そのむちのきびしさに襟を正す。天をおそれるとはこの事である。
これ以外に、普通約束といえば、何かある時、人と人とが約束したこと、きめたことと、考えられている。これも亦、破約の場合、間違った人は別に損得はないが、破られた方が損をすると考えられている。これも見かけの上の事で、破った方は、守らなかった責任がある。これがただ道徳上の責任というだけですむように思われている。それが実はそうではない。破った方が、必ずその責めを分担せねばならぬこと、いやでもきらいでも、その責めを実際生活の上に負わされて、困りぬいている実例の多いことは、この絶対倫理の一々実証しているところである。
とりわけて、きびしい破約に対する天の刑罰は、親子夫婦等の血縁の間の「きめごと」である。これは、まだ世に明らかにされていない、ひめごとの幕に包まれている。絶対倫理はこの秘密の扉を開いて、血縁のきめごとの誤りから来た肉体上の苦痛を、見事に解決している。
ことにきめごとの中で、時間を守るという、文化人として最初のテストに見事に落第した日本人は、今日ただ今を期して、まず時間を正しく守ることからはじめて、生活をたて直さなければ、再びその時は来ないであろう。