今回の中桐さんのお話は少し難しい内容でした。
前回はご自身の生い立ちから始まりましたが、今回は二宮先生の基本的な理念を聞くことが出来ました。
今回は、お話の中で印象に残った事項について幾つか抜粋しましたので、それらについての思いを綴ります。
まずは、『自分の中の悪を知っている善人でありたい。味のある人間になりたい・・・。』
自分の中の悪がわかっているからこそ、本当の意味の善を行うことが出来る・・・なるほど!以前何かで聞いたことがありますが、人間はもともと悪人の本質を持っているらしいのです。ですが、培われてきた経験、文化、理性によりそれを制御する能力が携わってきたのです。悪があるからこそ善を行えるし、善の心を持っていられるのですね。
次は、『すべてのものは壁を乗り越えてここに存在する。存在するからすることがある・・・』
私たちは今ここに存在しているのは、さまざまな問題を乗り越えているから。人生をリタイヤせずに続けているから存在している・・・。また、成長出来たのは、周りの誰かが必ず関わっているから・・・。これは忘れがちですね。自分ななぜ仕事をして生活をして家族がいるのか・・・それは一人では絶対にありえないことであると改めて感じさせられました。存在することが「徳」それに報いることが「報徳」ですので、存在すること自体、それを感謝して、存在させてもらっている人に感謝し、報いる努力(恩返し)をするべきなのですね。
『庭に落ちている米粒に気づく人になりたい・・・』
すこし難しいのですが、一生懸命に努力して成し遂げた事は、実は自分だけで達成したわけではない。どういうこと?それを実現するために必要だった環境、時間、人、お金・・・まだあると思いますが、それはすべて自分以外の人も関わっていて、それに気づくことが必要であるということ。または従業員でいうと、どんなに出来ない人でも、必ずその人の持っている素晴らしい力があり、それを見つけ出すことが出来る目を持つことだと思います。怒れるばかりで見つけるなんて難しいことですが、その努力をして一つでも見つけることで、優しくなれ、お互いの距離が縮まり、仕事もうまくいくようになるのではないかと思いました。
『自分の幸せに気づき、恩返しをすることが大切である・・・』
まさにそうですね。隣の芝は青く見える・・・自分は不幸だ・・・などと思う人は多いのではないかと思います。以前の私もそうでしたが、ふと気がつくと、こんな自分でも妻がいて、子供がいて、一緒に旅行にいって、一緒にマージャンして・・・普通に生活が出来ている自分がいたのです。これに勝る幸せは無いと思いました。
今回は自分を見直す良い機会でした。本当にありがとうございました。また第3弾を期待しまして今回の感想とさせていただきます。
磐田市倫理法人会 広報副委員長 佐々雅之