それは、道義と幸福に対する一般常識も、倫理学者の学説も、せんじつめれば、次のように考えているからです。
「善い人、正しい人が幸福になり、悪い人、不正な人が不幸になる、間違えば罰を受けるというように、人生はそうあってほしいと皆思っている。しかし、世の中はそうはなっていない。正しい人は正しいために、善い人は道徳を守るために、かえって苦難の一生を送らねばならぬ。これは歴史上にたくさんの実例がある。
道徳と幸福とが、きっちり一つになるところの最高善は、この世ではとても望まれぬ。カントほどの大学者も、『この希望は現世ではとうてい達することは出来ない、徳と副と一致する理想の世界は、来世に求めるほかはない』と考えていた。
そして現世は、生きるということが、すでに悩みである、悪の世界である、ままならぬ浮世である。それで善い事をしても、必ずしも幸福にはならぬし、悪い事をしても不幸になるとはきまっていない。
まったく正直に法則を守って生きて行けない。きびしい道徳なんぞ守っていても、それで幸福になれるという望みは持てない。」
こうなってきますと、教育が進めば進むだけ、人々は悪がしこくなり、科学が発達すればするだけ、世の中は不安になると申さねばなりません。
ここまでおし詰まってきた世の中に、どうしたならば、方向をかえさせる事が出来るでしょうか。