運命自招②
目の前にきたあらゆる機会をとらえて、断乎として善処する人、一度こうと目的を定めたら、終始一貫やってやりぬく人、これが世に言う成功者である。
「天は自ら助くる者を助く。」
ぐずぐずして、いくらその時があっても手を出さぬ。何な困ることがあると、ぐったりしてすぐ止める。これは世の弱者であり、敗残者である。塙保己一が、日々「般若心経」を読んで心をむちうち、大『群書類従』を編さんしたその努力、ヘレン・ケラー女史の師のサリバンが、いかにそのチャンスを捕らえて教育して、この三重苦の大天才をうみだしたか。これを思うと、盲目という一見不遇のさだめは、一転して大きい幸運と輝きにかわった。
「各人の運命は各人の手中にあり。」(シドニー・スミス)
従って境遇も、あらかじめ。そうしたさだめがきまっていて、その中に入って行くのではない。その人の心の通りに、境遇の方がかわるのである。現に憂うつ性の人が集まって、しめっぽい話をしている。座はいよいよ打ち沈む。ここに世に心配をしらぬ青年が、呵々と大笑して入ってくる。一座は急に停電後点燈したように明るくなる。
よわり目にたたり目、泣き面に蜂、心が打ちしめれば、その環境は、梅雨時のように打ちしめり、かつ然として心が打ち開けば、天地一碧、ようようたる大宇宙が打ち開ける。
運命を切り開くは己である。境遇をつくるも亦自分である。己が一切である。努力がすべてである。
やれば出来る。