山下さん! 最後に花を添えて頂き、本当に感謝いたします。
テーマがまた「挨拶」なんてサイコーーです(≧▽≦) 挨拶は「人と人」また「人や物」を結ぶ金の鎖なんていいます、「あれ?モノ?」そうなんです・・・
倫理に出逢って学ばせて頂いたのですが、挨拶は人だけではなくモノを言わないモノに挨拶するんです。朝起きたらまず近くの人間ではなく、ゆっくり休ませて頂いた布団に「ありがとう!」。洗面時には水に感謝を込めて「ありがとう!」。仕事で使う道具に「お世話になります!」職場入る時には「失礼します!」ある人は、モノに心を込めるために道具すべてに名前を付けたという、名前を付けると粗末に扱わなくなる。使い慣れてるボールペンには妻の名前、「今日も〇〇さん走りがい良い」愛車には父親の名前「お父さん、今日も命を運んでくれて有難う」そうすることで何が変わるのか?ペンは自分では考えもつかないようなことをペンが勝手に走り書き出す。車は信号にかからず、目的の場所により早く着く!そのような体験いくつも聞きました。
ある人が言ってました。もともと世の中の物質すべては在る者の亡骸から成り立っていると!そうかもね!
だからすべてのモノには元々 心があると考えれば 挨拶せずにはいられません。反応するモノだけに挨拶すのではなく、反応しないモノにこそ心を込める挨拶をしたときに 愛に近づく=「愛拶」となるのではないでしょうか!
挨拶とは愛という札で人やモノの心を買うことが出来ます、だから挨拶なくして人やモノの心を手に入れようとすることはドロボウです。
ドロボウが手にすることは等価交換ではありませんから、人もモノもその人の身にはなりません。本当に自分の血肉にしたければ価値ある挨拶で 素敵な買い物をしたいですね!
もう一つ大事な挨拶に「祈り」ってあります。この「祈り」宗教だけの特権ではなく、人間の挨拶同様、自然本性として祈っています。
「祈り」とは何かといえば、私達人間が自分の内や外に存在する”サムシンググレート”(偉大なる何者か)に向かって語り掛けている「挨拶」「コミュニケーション」と言ってもいい!
「祈り」の語源は「生宣り」。「生」「い」=「生命力」。
「宣り」「のり」=「宣言」。ゆえに「いのり」=「生命の宣言」。
人生にはいろいろな悩みや難問が待ち受けていますが、自分は負けないでがんばっているぞ!」と宣言をする。それが「生宣り」(祈り)であり、神様への心を込めた挨拶。
神様に生命の宣言をすると 遺伝子が活性化して生き活きと粋に生きられるようになります。まるで緑さんのように(^_-)-☆
とかく人は、もがき・苦しみ・苦難の波を乗り越えようとするけど、「ハッピー」「ラッキー」「ウィスキー」で苦難の波にサーフィンのように乗りこなすぐらい人生楽しまないとね(‘◇’)ゞ逆らうと誰だって力尽きちゃう!人生呪うよりノリでいっちゃおうぜ~!
また来てね~「大好きいい~~」
鈴木博久