倫理との出会いは、脱サラ起業して間もない2014年4月。たまたまお客様とランチで立ち寄ったカフェアジュールで、オーナーの元場友美さんが渡してくれた倫理経営講演会のチラシ。そして7月に入会。それから毎週木曜日、いろいろな方々の講話を聴いたが、自分自身、いったい何をすれば良いのか見当もつかなかった。そんな中、1年半ほどが過ぎた2015年11月、幹事全員が百日実践をやろうということになり、私は玄関の掃除をすることに決めた。当時は普及拡大委員長という役職を頂いており、懇意にして下さっていた静岡県県普及拡大委員長の山下美佳さんに相談してみた。すると「私も初めて百日実践をしたときは、何も結果が出なかったの。」という返事が来た。あんまり期待しないほうがいいのかなという疑いの目を拭い去ることができないまま、何も考えずに毎朝玄関の掃除を続けた。
1か月くらい経った頃、掃除をしようと玄関の前に立つとピカピカに輝いていた。そうだよな、毎日掃除しているんだから1日くらいサボってもいいよな、という気持ちになった。しかし、皆の前でやると宣言したのだから、まずは百日やってみようと思いなおし、いつものようにホウキで玄関を掃き始めると・・・ えっ、こんなに汚れているんだ。見た目は綺麗なのに・・・ 私ははっと気づいた。今までいろいろな人の講話を聴いても理解できなかったのは、目に見えるものだけを見て、見えないものを見ようとしなかったからなのだということに。
脱サラするまでの18年間、国内外の工場で技術者、中間管理職として働いてきた。その中で学んだことの一つに、4つのMがある。4M。Man、Material、Machine、Method。この4つのうちの何かが変化すると、製品に異常が発生する。たとえば、材料の購入先を変えた、加工する設備が変わった、加工する方法を変えたなどなど。些細なことでも製品の出来栄えに影響する。何が変化するかによっては、不良品のみならず大事故につながることもあり得る。いつも頭を悩ませたのはMan。そう、人である。材料も、設備も、やり方も、全部目に見えること。しかし、人だけは原因の特定が難しかった。
百日実践のおかげで、作業者の心の中までは見ようとしてこなかったことに、改めて気づかされた。顔に付いている2つの目で物事を追いかけてきた自分には、心の眼で観ることが欠けていた。きっと美佳さんはこのことを伝えたかったんだなと。美佳さん、ありがとう。百日実践が私の大きな転機となったことは言うまでもない。
2017年に入ってからは、新たな実践に挑戦している。それは、怒らないこと。特に注意しているのが車の運転中。おかげ様で25年以上無事故無違反を継続しているが、それでもまだまだだなと思うことがある。たとえば、車間距離を保っているとき、急に車が割り込んできたときなど。5年前なら、「危ないな!」と怒鳴っていることだろう。しかし今では、「ありがとう」と素直な気持ちで言えるようになった。
なぜ嫌なことに対してありがとうと言えるようになったのか。もし、割り込んできた車の運転手が、奥様が出産しそうで病院に急いで行くところだったとしたらどうだろう。「私のことは気にせずに、早く奥様の元に駆けつけて下さい。でも、安全運転でね!」と優しい言葉をかけてあげてもいいんじゃないか。些細なことに目くじらを立てるのは、情熱を注ぐところが間違っている。もったいない。栞の中に出てくる万象はわが師という言葉を、ようやく理解できるようになったのが今年になってから。目の前でいかなる嫌なことが起こっても、冷静に見つめることができるようになれたら、どんなに素晴らしいことだろう。
心を磨く実践は、まだまだ続く。
牛田剛
牛田さん
良かったです。
百日実践は100日で終わりではないと言うことです。
だんだんと心が入り、極めていけたらそれが習慣になります。
その後です。気づきがあります。
沢山の気づきを素直に受け止めた牛田さんの素晴らしさ、頭が下がります。
これからもたくさんの倫理体験をしてお伝えください。
最近、山口健二先生に写経をならっています。般若心経の中に見えないものを見る力が大切だということを書いています。
そこを受け入れた時にたくさんのギフトをいただけるようです。これからもお互い頑張りましょうね。
牛田副会長をクロージングさせて頂いことを、今は懐かしく思います、正直 湖西市からの入会については
クロージングさせて 頂きました 僕が 一番ビックリしています。
あれは ウチの姪っ子が牛田さんに御世話にったことから 始まったんだよね その姪っ子は今は何処に・・・
って感じなんだけど、姪っ子に牛田さんを御紹介して頂き感謝してるんです。
倫理での出会いは必然だと言われています、実践すればするほど 自身に必要なものが集まってきます。
逆もそうで 実践者には 必要なものでない物は離れていきます、 と 言う事は 倫理での別れも必然なんだと
言う事を感じます。 必要な者・物 必要でない者・物 心をスリムにするかメタボにするかは 倫理の実践しだい
なんですね(^_-)-☆