この事がはっきりとわかってみますと、これまで不幸だ、災難だと恐れきらっていた人生の苦難は、実は、「自然なレールからはずれたぞ、それでは不幸になるぞ」と注意してくれる赤信号であり、一歩すすんで、その苦しみをおそれずのがれず、まともにうけ、一押しおすと、そのすぐ向こうに、広々とした幸福の世界があるということを教える門燈なのです。苦難は人を苦しめるためのものでも、殺すためのものでもない。正しく生かし、ほんとうの幸福の道にたちかえらせるためのむりであり、照明であるのです。恐るべき何物もなく、いやがらねばならぬ何物もありません。今や病気を歓迎し、苦しみを謳歌る時代がきました。何とすばらしいことではありませんか。
人生の悩み、日々ふりかかってくる苦しみ、どうにもならぬと恐れていた苦難が、ただ右から左に、何時でもすっぽりと解決できる。ただそれだけでも、どれほど大きい喜びだか知れません。その上、苦難のおかげで、正しい絶対倫理がはっきりとわかって、何も恐れず大手をふって進むことができるのです。