三 運命は自らまねき、境遇はみずから造る

運命自招①

 

人の一生は、運命という、どうすることも出来ない力で、きまった道筋を引きずられていくものである、というように信じているものがある。そして生まれた年月日、又時間がわかれば、その人の一生はすっかりわかるなどと言う者さえある。「運は天にあり」とか「果報は寝てまて」とか言うのは、そうした考えからであろう。

しかし、いやしくも人の関係する仕事で、すてておいて、手をこまぬいて、わきから見ていて出来る仕事がどこにあるのだろうか。自然現象は定まった法則に従って、一糸乱れず運んでいる。天候に大部分がかかったように見える農業や漁業でさえ、ほうっておいては田畑は草野となり、魚群はにげてしまう。まして生産も交通も、教育も宗教も、何一つすてておいてできることではない。

毅然と立って行えば運は開ける。

「運は勇者を寵愛す。」(ヴァージル)

ぐずぐずしておれば、その機会は去って二度とかえってこない。

「機会は前頭だけに毛髪があり、後頭はえはげている。もしこれに出あったら前髪を捕えよ。」一度にがしたら、神様でもこれを捕えることは出来ぬ。」(ラブレー)

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