山中レクチャラー!二日間 御疲れ様でした。
山中レクチャラーの赤裸々な失敗談と言っていいのか、成功への架け橋ストーリーと言っていいのか・・・。すべては今ある幸せを味わうためのものと捉えれば自分でしでかした苦難も、他からきた苦難も宝(他から)ものですね(≧▽≦)。でも山中レクチャラーの(しくじり)~わかるなあ~人は特に男は調子づくと鼻がグングン伸びてくるまたそれが美徳と思っている時期があるんですよね。「俺がここまでデカくしたんだ!」「俺が・・・俺が・・・」地球は僕を中心に廻っていると思ってましたから・・・。今思うと本当に恥ずかしい。その時、僕と関わってきた人達に謝りたい。「あの時わあーーゴメンねーーーー!」でも、もし自分の息子が僕と同じ時期に同じように鼻高々になり同じような失敗をして人生に傷が入りそうになっても、それはそれでそこから学ぶことはどんな高額なセミナーよりも効きめがあるので経験させたいですね。
成功で学ぶ事、失敗で学ぶ事、それぞれ得ることがあると思うのです。人は誰でも失敗する事を目的として努力はせず、成功に大きな意味があると思い込みます。しかし成功が次の始点とするならば、成功した人は歩んだ道を振り返らない。ゆえに成功し続けた人は自分を知らずに弱い。成功した理由が解ればこそ(力)であり方向性です。理由を知らなければそれはただの運がいいだけ!失敗が恥しいならば、歩んだ道を振り返ろうとせず記憶の淵から消し去りたいと思うが、失敗したことが悔しいならば、歩んだ道を振り返り、自分を知り強くなろうとする。失敗した理由が解れば成功した理由も解る。「成功した理由を知るために人は失敗する」失敗するという経験から学ぶことは、とても大事なんだと思います。
今、当単会にも若い人たちが続々と入会しております。その方達がセミナーに参加して、アドバイザースーパーバイザー・レクチャラーなどの失敗から学んで心の矛先を変えていまのサクセスストリーが出来上がる事だけを見て、「諸先輩のように僕はおんなじ失敗をしないで、スムーズな人生を送って行くぞー」なんて僕は思ってほしくない。失敗して、すっころんで、血だらけになって、時には喧嘩をし、恨んだり憎んだりして純粋倫理の尊さを骨身に感じて欲しい。若いベンチャー経営者には成功の喜びも必要だと思うが、失敗してしまった悔しさも沢山経験して欲しい。それはいつかいつの日か強さに変わる(素)となるはず!その悔しさから生み出すエネルギーは、無限の可能性を生み出すきっかけが宿っています。
僕は会員さんに「勝たせてはいけない」「勝つようにする」だから負けるという尊い経験も踏ませてこの大転換の時代、「生き抜く力」を身に着けて欲しいと切に願うのです。「育てる」という行為から負ける事も含めて見守ることで「育む」とう運営を心掛けていきたいです。今回、山中レクチャラーからは こんな気付きを頂きました!
「御馳走様でした(^_-)-☆」
(パチッパチッパチッパチッパチッ!!いいね!!)
鈴木博久