万里子さん!磐田市倫理法人会の為に魂の講話、有難うございます。
前回の講話は「私は万里子」ということで自伝的な内容でしたが今回はどっぷり金次郎様の御話ではなく、かといって万里子さんの在り方でもない、まるで土に眠っている種から芽が出て今まさに地上に顔を出そうとしている種の心境を手に取るように優しくあたたかく金次郎様の生き方を通して伝えて頂きました。
講話中はあちらこちらから、すすり泣く声が聞こえ会員さんを見送る際には「会長!良かったよ!俺 母親が降臨してきちゃってさ!何かを言いかけてるんだよ!たまんないよ!ありがとね!」目を真っ赤
にして仕事に向かっていく方。初めてモーニングセミナーに参加した人からは「会長!何なの?このセミナーはいったい何者なのあの中桐万里子ってひと?凄いパワーだね、涙が止まらなかったよ。また来るね!」
万里子さんは意識していなかったと思いますが、言葉の表現が難しく適切でなかったらごめんね。前回の自伝が無機質な種とするならば今回はその万里子伝に繋がるファーストオリジナル!無から有に変わるための心の持ち方・構え方を皆さん忘れていませんか?皆さん、生まれた時はたらいの水は空っぽだったんですよ!その水はあなたの力で湧き出したのではありません。ましてその水は自分のものと勘違いしていませんか?自然たちは雨で植物を潤し、自分たちは川の水で生かされていることを忘れてはいませんか?みんな「ハッ!」と気付くんです。
皆さんに投げかけられた「本を忘れず!」という前章から第二幕!自らの心の雨(涙)によって浄化され無機質な種に生を宿すには、あなたの存在はあなただけの力ではないことに気が付かなければ、出直したところでそれは夢の中なんだということを。食事中にお話ししてくれました、「もともと”土”というものは存在しておらず、何かの腐ったものの集合体が土になっている。だから土自体は何かの亡骸の結晶体なんだと」私たちが種とするならば、土は・・・その環境は・・・は過去の貢献によって、時には犠牲によって創られている中に私たちはおかれて、その養分・反省に包まれて命を芽吹かせていることを気付かせて頂きました。その土の存在こそが(徳=倫理)なんですね!土を土だけで見ていたら気付きませんでした。万里子さんの講話を拝聴したすべての方が感じている事と思います。
働くことも大事!ここで学ぶことも大事!人を好きになる事・恨むこと・羨むこと・成功する事・失敗する事・それぞれに学びが有り、気付きが有り成長し、世に尽くし尽くされて生きていくのだけれど、それもすべて自分という存在があるからこそ、と言う事を忘れてはいけない、そしてその存在を創造したものは何なのか・・目を凝らして、耳を澄ませていけば、心の目には先人が気付き上げた文化が映し出され心の耳元でささやく先人のメッセージを聞き逃しては、命を懸けて創造してくれた先人また先自然に申し訳が無い。いずれ私達もその先人・先自然の仲間になったとき私は何に報いてきたのか・・私は何をのこしてきたのか・・・胸を張って答えるように・・・「二宮尊徳先生が、弟子に示したたらいの水の例話のように、欲心(よく)を起こして水を自分の方にかきよせると、向こうに逃げる。人の為にと向こうに押しやれば、わが方にかえる。金銭も、物質も、人の幸福もまた同じ事である。」(万人幸福の栞11条)たらいの水を押しやるも、かき寄せるも、そんなのは問題ではない。そのような行為が出来ること事態に感謝しなければいけない!
もともと空っぽで生まれてきたたらいに、尊い水を注いでくれた、モノ・ヒト・環境、また(大いなる力)の存在(在る事)を忘れてはいけない。(在る事)への奇跡やひらめきが私たちの人生に徳という輝きがあることを教えて頂きました。
万里子さんが創りだした優しい余韻は薫化となって磐田市倫理法人会に浸透し、またひとつ成長したこと間違いありません。感謝合掌! 命の時間を有難うございました。
鈴木博久