「ありがとう」の本当の意味

今回のモーニングセミナーはライブカメラに集中していたために、メモ書きと記憶が出来ずに残念でした。

ですが、ただなんとなく言葉の意味を調べたくなってきました。

村松教育委員長の内容にも出てきました「ありがとう」です。

 

「ありがとう」は「有り難い」が変化した言葉のようです。

仏教から来ている教えで、実は生まれてくること自体難しい事らしいのです。

「ここに有ることが難しい」だからこそ、それを感謝して言う言葉です。

昆虫の生れてくる確率からすると、人間が生まれてくる確率はかなり低く、1億分の1です。人間に生れてくることが、いかに困難であるかです。

 

「ありがとう」の反対語は「あたりまえ」です。

親なんだから養ってくれてあたりまえ・・・夫なんだからそれくらいやってくれてあたりまえ・・・妻なんだからと子育てするのはあたりまえ・・・先生なんだから勉強をおしえるのはあたりまえ・・・

この「あたりまえ」と言う考え方は、せっかくの幸せを逃がしてしまうことになります。

 

私事になりますが、数年前にふと思ったことがありました。

自分は今幸せなのかどうか・・・。幸いにも気がつきました。

ふと自分の周りを見たら、妻がいて、娘がいて、息子がいました。そして普通の生活をしていました。こんな自分でも家庭を持つことができ、子供も成長しているし、仕事も出来ている。そのとき、「な~んだ、幸せじゃん!」と思いました。

その後に「もう何も必要ないな~あとは人生を楽しめばいいじゃん!」と心の中でつぶやいた記憶があります。

それからいろんな事に感謝できるようになり、喧嘩になりそうな時も人の責任にせず、自分から謝ることができ、すべてにおいて前向きに考えられるようになりました。

 

ものすごい確率の低さで生まれてきたことに感謝し、今ここに生きていることに感謝し、様々な事柄に携われることに感謝し、何が起きても、これから更に前向きに生きていこうと思います。

 

ありがとう!

 

磐田市広報委員長 佐々雅之

 

補足:

パソコン教室を運営していて感じたこと。

金銭の有無にかかわらず、どんな小さなことでも教えを乞うたならば、必ずその人に必ず「ありがとう」は言うべきですね。

教えを乞う人が近くに存在しうること自体が奇跡です。あたりまえではないのです。

教えてくれえるのがあたりまえ、と思わないことです。

あたりまえと思っていると、気がつけば自分の周りに誰もいなくなります。

先生を敬えということではなく、当然の事だと思っていると、自分自身の幸せを逃すことになるからです。

どんな小さなことにも感謝することが大切です。

村松教育長のMSに参加させていただいたおかげで「ありがとう」の本当の意味を理解できてよかったです。

感謝!ありがとうございます!

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

コメント

コメントする

目次