明日は板津昌利様の講話です。
そこで、父から戦争の話を聞かされましたことを思いだしました。
父は細くて徴兵検査に落ち、戦闘機に搭載するレーダーを作る工場に勤めてたいたようです。前線に参加したく、何度も試験を受けたらしいのですが、やっと受かって1か月後に出兵というところで終戦になったそうです。1か月違ったら私はこの世に存在してなかったかもしれません。
同期のほとんどは戦死し、命からがら帰国した同期の一人が父の元を訪ねてきたそうです。数少ない食料を分け与えたということでした。当時はジャガイモぐらいしかなく、それでも喜んでくれたそうです。彼は事業を起こして成功したようです。
父も祖父が大工であったためにその技術を生かして親子でバラックの家を作る仕事を始めました。廃材を集めて人々が住むための家を作り始めました。家といっても今のような立派な家ではなく、ただ雨風をしのげるだけものものでした。他には洋服等を収納するタンスも作っていました。
仕事は忙しかったらしいのですが利益は全くなかったようです。はたから見れば忙しくて儲かっているように見えたのか、誰かがチクったらしく、税務署が税金の徴収に来たそうです。税務署の職員とのすったもんだのお話しはまた次回するとして、それがきっかけで父は家具屋を開業しました。
戦争を経験して人に為に働いてきた父は、事業にもそれが生かされていました。常にお客様のことを考えて行動したとこで成功を収めます。
戦争を経験した人は、理屈抜きに常に人の事を考え、思いやりを持って生活をしています。みんなが何とか幸せになれるように努力し続けます。平和になった今こそ、戦争を経験した人達の思いを聞き、それを記憶し、次の世代に受け継いでいかなければならないと思います。
広報委員長 佐々雅之