疾病信号
人は、骨と肉と血と皮と・・・から、出来ているが、これだけで生きているのではない。これは、たましい(魂)すなわち心があって、一人の人間として、生命があるわけである。
しかし、(生命)は、どこにあるのやら、昔の人はきもにあると思っていた。それで「きもだまが太い」とか「小さい」とかという。中国では、下腹にあると思っていたらしく、丹心とか丹田とか言う。
インド辺では、のどにあると思っていたらしい。西洋では心臓にあると思ったので、心をハートと言い、この頃、「心臓が強い」などと言う。又頭にあると考えられていて、「あの男は頭が悪い」などと言う。
しかし心が肉体のどこにあるのか、さっぱりわからぬ。いや、どこにでも行きわたって一ぱいになっている。そして、心には形がなく、肉体には形があるが、この二つが全く一つになっていて、ちょうど電球(肉体)と電流(心)とのようになっている。電流が弱いと火がホタルのようになり、強いとパッと明るくなる。人も恐れると青くなり、はらをたてると赤くなる。ひどく驚くと、腰がぬけたり、全身が動けなくなったりすることもある。
これでみると、肉体は、心のいれ物だといえる。それが、もちと重箱といったような、そういった容器ではなくて、蓄電池をみたようなもので、形のない心を、形ある肉体の中に一ぱい入れているのであり、また、その心のようすで、容器の肉体が一々変わっていくので、「肉体は心の象徴」というより外はない。象徴というのは、それだけで十分現れてしまっているというわけではないが、これ以外には表わしようがないほど、うまく表わしているということである。「桜の花が、大和心のシンボルである」というように、人の肉体は、その人の心をそのまま表わしているから、人相とか手相とか見て、その人の心持が読めてよいわけである。いや、その人にあえば、初対面の人でも、その人物の大体は見当がつく。